1952-03-27 第13回国会 参議院 経済安定委員会 第8号
殊に今日国民に供給されている繊維類の量というものは戰前までは回復していないのですから、それは終戰後二ポンド、綿、スフ合せて、それが七ポンド弱になつておりますけれども、綿も半分です。そういう状態から考えたら将来日本だけで使う問題についても相当まだ殖やさなければならん、こういう実情であります。
殊に今日国民に供給されている繊維類の量というものは戰前までは回復していないのですから、それは終戰後二ポンド、綿、スフ合せて、それが七ポンド弱になつておりますけれども、綿も半分です。そういう状態から考えたら将来日本だけで使う問題についても相当まだ殖やさなければならん、こういう実情であります。
○小林英三君 大体わかりましたが、この丁種保險制度ということは今私が申上げましたように、宣伝をしてその効果が上らん場合の損失をカバーする、こういうのでありましようと思うのでありますが、私がそういうことを先ほど局長にお伺いしましたのは、終戰後二、三年来よく外国、アメリカあたりから来ている人を招待して各地で開かれた貿易品の展覧会等をよく私見たことがあるのですが、日本人が戰争前にこれが売れたというからこれを
終戰後二百万余錘に減じて、非常に貿易界としても、日本の国民経済の上から見ましても、困つた状態にあつたわけであります。従つて当時の状況としては、今後の国際間の情勢もあり、東南アジア地区等における二、の需要の関係も考慮いたさなければなりませんが、せめて半数近くまで先ず持つて行くということの狙いで計画は進めており、先ほどから御指摘のありましたように、朝鮮事変等で非常に景気がよかつた。
終戰後二回、三回の行政整理がありました場合に、学校の教官の方に手をつけませんで、自然事務官の方にその整理がかぶつて参りまして、年々減少して参つているのが現状でございます。
それは、フイリピンに五百名内外の残存者が戰後おるということは、フイリピンの政府におきましては相当以前から、少くとも終戰後二、三年以前からこういうことはわかつていたと思うのでございますが、その点はいかがでしよう。
それだけに事業の経営の運営の合理化を図つて参つておるわけでありまして、曾つて終戰後二十三年頃には預金のコストは約一割にも近いのでございます。九分八厘というような高い率を示しておつたのであります。
大体において傾向といたしまして、ふえておるか減つておるかというお話でありますが、終戰後二十二年、二十三年、二十四年の傾向を見ますると、二十四年度の方がふえて来ております。そして、このほかにあるのではなかろうかというお話でありますが、会計検査院が検査し、あるいは了知しましたものは、それがすぐ回収されておるものは別といたしまして、大体細大漏らさずあげるという方針で行つております。
○小峰会計検査院説明員 ただいま三二九号から三三一号までの特殊物件の案件について、政府側から御説明がございましたが、この特殊物件は、終戰後二十三年度までの間に非常にたくさん問題がございまして、検査報告に掲げられていたのでございます。大体二十三年度で大きなものは片づきまして、ここに出ました三件は、前年度までに処理がつきませんで残された最後のもの、こういうふうにお考え願つていいのであります。
借入れの行われました時期は各地区によりまして異なつておりますが、特に満州地区は終戰後、二十二年から二十三年まで続いておりまして、いつの貨幣価値をそのような形で円に結びつけるかということは、理論的にいつても一つの大きな問題であるのでございますが、これはたさんの人が政府に貸し上げをやつた、そういう時期をとろう、いわゆる貸し上げの最盛時をとろうということになつたのであります。
もつともこれは規約が終戰後二回改正されておるわけでありますが、最初の規約では一定の年限を見るというようなことはありませんでした。それでそういうことなしに入党している党員も現在おるわけであります。しかしながら現行規約はやはりそういう制限を付しております。今入つて来る党員というものは、すべてその制限に従つて入党するということになります。
旧軍用財産で終戰後二十四年度末までに処分いたしましたものは、国有財産としての価額でざつと十二億八千余万円になつております。ところがその売渡額は総額で四十三億二千四百余万円になつているわけであります。この差額が先ほどカニエさんが御指摘になりました評価増に相当するものとお考え願つていいのじやないかと思います。
これは終戰後二十四年の九月までは、全部割引興業債券で私どもは資金を集めておりまして、九月から初めて三年の興業債券というものが出て来たような実情でございます。それ以前におきましても、かりに五年、十年という債券を出しておりましても、それが償還の期限が来ましたときに、必ずしも五年、十年という債券がスムースに借りかえができないというような場合がございます。
然るに終戰後はインフレの昂進に伴いまして、子の支出予算額は急激に暴騰いたしまして、他方收入はこれに伴わず、終戰後二回に亘りまして増額の改正をいたしましたにかかわらず、なお收入と支出の均衡がとられず審査事務の促進、発明奨励諸施設の遂行上も支障が少くなかつたのでございます。
しかるに終戰後はインフレの高進に伴いまして、その支出予算額は急激に膨脹いたしまして、他方收入はこれに伴わず、終戰後二回にわたり増額の改正をいたしましたにかかわらず、なお收入と支出の均衡がとれず、審査事務の促進、発明奬励諸施策の遂行上支障が少くなかつたのであります。
○佐々木(秀)委員 そういたしますと、ソビエトも連合軍でありますが、他の国のいわゆる抑留者あるいは同胞はた、だちに帰したにもかかわらず、ソビエトが終戰後二年三年四年と、その條約に違反して帰さなかつたという、そのソビエトの行動をあなたは條約違反だとは考えておりませんですか。
こういうことにいたしておりますので、終戰直後に、或いは終戰後二年くらいありました事柄と、現在及び今後における事柄とは、これは区別をして考えて頂いてもよろしいと思うのであります。従つて今後におきましては、岡村さんがおつしやるようなことは、開拓がむずかしいのですから当然起りますけれども、起る率というものは非常に少いというふうに努めておりますし、そういう見込であります。
御承知の通り、現在の株価というものが非常に惡いということは、例えば昭和二十一年の八月を百といたしました指数で見てみますと、終戰後二十二年、二十三年と大体これは貨幣価値の問題とも関連いたしていると思いますが、段々中垣的には上つて参つておりまして、指数的に申しますと、二十四年の五月七百という指数を示して、これが最高になつておりまして、それから幾らか下り気味で、又九月に少しく回復いたしましたが、九月からは
それは終戰後二十一年か二十二年か、はつきり記憶いたしませんが、要するにここ三、四年そういうことをずつとやつて来ております。その当時の最初の経緯につきましては、私はよく承知しておりませんが、それが引続き来ておるわけでございます。昨年あらためてそういうものが織り込まれたのでも何でもない。
今ちよつと專門員から出た資料を拜見しますと、終戰前までに建てたのが八万六千九百ある、終戰後二十二年三月までに建設したというのが十万ある。これらはどうもちよつと閉鎖機関の関係から行くと合わない、十二月に閉鎖機関に指定されておつて、そうして三月までにこれを建設したのは、建設途中だつたから或る程度止むを得なかつたのかも知れないけれども、それにして見ても二十二年頃建てたとすれば、まだまだ安いんです。
○説明員(伊東五郎君) 只今お話の通り住宅問題は我々としましても非常に努力をいたしておりますけれども、一方災害もあり引揚者もあり、又予算の関係で一般國民の要望しますだけの住宅を建てることができませんために、終戰後四年余経つております今日におきましても見ようによりましては終戰後二三年よりは更に住宅問題が深刻な方面に追込まれておるような氣もいたしております。